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横浜地方裁判所小田原支部 昭和38年(ワ)11号 判決

原告 倉橋孝治 外二名

被告 国

訴訟代理人 横地恒夫 外五名

主文

被告国は原告倉橋孝治に対し金百十万円およびこれに対する昭和三八年二月五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

原告倉橋孝治のその余の請求および原告倉橋広蔵同倉橋サクの請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告倉橋孝治と被告国との間に生じた分はこれを三分しその一を被告国その二を原告倉橋孝治の負担とし、原告倉橋広蔵、同倉橋サクと被告国との間に生じた分は原告倉橋広蔵、同倉橋サクの負担とする。

この判決は第一項に限り原告倉橋孝治において金四十万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

被告国において金五十万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事  実 〈省略〉

理由

原告孝治の請求について

原告孝治が軽自動二輪車を運転して昭和三五年九月二六日二級国道(東京沼津線)を山北方面から松田町方面に向い進行し同日午後三時ごろ神奈川県足柄上郡松田町庶子四一九番地先の同国道上を右折せんとしたところそれに後続して進行して来た訴外リチヤード、ムーアの運転する九人乗自動車(フオード7五九年型ステーシヨンワゴンU・s一七三三番)が接触し原告孝治が負傷したことは当事者間に争いがない。

原告らは右接触事故は右ムーアの速度の出しすぎと追越の注意義務を怠つた過失によるものであると主張し、被告は右事故は原告孝治の右折の注意義務を怠った過失によるものであると抗争するのでこの点について判断するに成立に争いのない乙第三(一部を除く)、六、七(一部を除く)、八(一部を除く)、九、一〇、一一、一二号証、同甲第二四号証の一、当裁判所の検証の結果を総合すると本件事故現場は足柄上郡松田原庶子四一九番地先の東京沼津線二級国道上(小田急線新松田駅の北西約一三〇〇メートルの地点)でその附近には右国道と十字型に交さして北北東にのびる道路(甲道路)、南南西にのびる道路(乙道路)がある(いずれも砂利道)、国道を境にして甲道路は上り勾配、乙道路は下り勾配をなしていて国道の北側には幅〇・五メートルの側溝がある、同国道は幅員約七メートルのアスフアルト舗装で路面の中央は西端よりやや高くゆるやかなかまぼこ型をなしているが路面にはデコボコはなく歩車道の区別はなく交通量はトラツク等相当頻繁であること、駐留米軍横須賀基地所属の軍属リチヤード、E、ムーアは昭和三五年九月二六日御殿場のキヤンプ富士から横須賀基地に帰るべく右国道を山北方面から松田方面に向け時速七〇キロ前後の速度で進行し、同日午後三時ごろ右現場附近に至り現場手前約一〇〇メートルの地点で同国道前方の中心線附近を先行する軽自動二輪車(原告孝治の運転するもの)を発見し、約五〇メートル進行して右二輪車が道路中心線附近から道路左へ斜めに方向をかえるのを見てその二輪車の右側を追越すべくそのまま進行し現場手前約二二メートルの地点に達したころ前方約一〇メートル余り先にあつた右二輪車が急に右折態勢に移つたので急ブレーキをかけハンドルを右に切り衝突をさけようとしたが及ばず右二輪車と接触し更に前進して電柱を折りなお前進して人家のブロツク塀に当つて停止したこと、原告孝治は軽自動二輪車を運転して右同日右国道上を山北方面より松田方面に時速約二五キロの速度で進行し同日午後三時ごろ現場附近の南側前示乙道路に入るべく右国道の現場手前約三〇メートル附近で右折指示器をつけ現場手前約一二、三メートルで右折するため左へややハンドルを切つて進行し現場附近で右折したところ右ムーアの運転する乗用車と右二輪車が接触したこと、右方向指示器(二輪車の後部についているもの)は当時ほこりをかぶりその光度は接近しないと見えない程度であつたことが認められる。

(乙第三、七、八号証のうち右に反する部分は措信しない)。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

およそ自動車を運転するものはそれが高速度である等から一度運転を誤るときは多大の事故を伴うことに鑑み制限速度を厳守するは勿論のこと、運転には細心の注意を以て当るべく運転中は絶えず前方を注視し目車の進行途上に現われる人物車輛等を速かに発見し以て該対象の運動に即応して自車の運転方向速度等を加減し事態に応じ場合によつては急停車、徐行等適宣の措置をとり、又追越の場合には後車は前車の速度進路道路状況に応じてできる限り安全な速度と方法で進行し、いずれも接触、衝突等の危険を未然に防止すべき注意義務があるところムーアは前記認定のように制限速度六〇キロを超える七〇キロ前後の速度のまま進行し追越のための安全措置を採つた形跡なく先行の二輪車が左斜行したのを左に入るものと軽信し右折を見て初めて急ブレーキをかけたが及ばなかつたもので本件事故はムーアの制限速度を守らなかつたこと、追越のための安全措置を怠つたことに原因しムーアの過失によるものと認定する。

尤も自動車が右折しようとするときは方向指示をなすは勿論のことあらかじめその前からできる限り道路の中央によつて交さ点の直近の外側を徐行して回らなければならない義務があるところ前示認定のように原告孝治は右折の方向指示器を点燈したけれども右方向指示器はほこりをかぶり光源が弱く後方から接近しないと見えない程度でありこれは方向指示をしなかつたと同一であつたこと、そのうえ右折の方式に従わず左斜行して右折し後続車のムーアをして追越できるものと判断をあやまらしめたことにも本件事故の原因のあることは否めない事実であり原告孝治にも過失があつたといえるがこれは損害額を定めるについての勘酌事項として考慮すべく、前示ムーアの過失認定を妨げるものではない。

なお被告はムーアの原告孝治が右折進行体勢を発見した位置を基準として時間的距離的に本件事故はさけられないものであつたごとき主張をするけれども前示のとおり当時ムーアは七〇キロ前後の高速度で進行していたもので既にこの点に問題があり右基準に基く主張はにわかに容れがたく採用しない。

以上認定事実によれば本件事故はムーアの過失によるものでありムーアは当時駐留米軍の構成員であり且つ本件事故は同人の公務執行中に発生したものであることは当事者間に争いがないから被告国は日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及安全保障条約第六条に基く施設及区域並に日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う民事特別法第一条に基づき本件事故に、よつて生じた損害を賠償すべき義務があるものとする。

よつて損害額について判断する。

(イ)  医療費について

成立に争いのない甲第四号証、証人倉橋幹(39、11、24)の尋問の結果および同人の尋問の結果により成立を認められる甲第五号証の一ないし八を総合すると原告孝治は右接触事故により大腿骨々折、右下腿両骨複雑骨折、左側頭部挫傷等の負傷をうけ右下腿膝関節より八五ミリ下の部分を切断し昭和三七年二月二六日から同年五月三日まで滑河原整形外科病院に入院治療し入院料等合計六万二千七百二十円の支払をしたことが認められる。他に右に反する証拠はない。

(ロ)  軽自動二輪車の修繕費について

成立に争いのない甲第二四号証の一および証人倉橋幹(39、11、24)の尋問の結果により成立を認められる甲第六号証の一、二によると原告孝治は右接触事故によりその乗つていた軽自動二輪車を破損しその修理費六万五千四百三十円を支払つたことが認められる、他に右に反する証拠はない。

(ハ)  得べかりし利益の喪失損害について

原告孝治が右接触事故により右下腿膝関部より八五ミリ下の部分を切断したことは前示のとおりであり原告孝治はそのためその労働能力の減少を来したことは言をまたないところ証人倉橋幹(39、4、21)、原告孝治(39、6、7)各尋問の結果によると原告孝治は本件事故当時同族会社である製缶会社の営業部を担当し月額二万円程度の手当をうけ住家を建てて貰い近く結婚して一家を立てる準備をしていたものであつて本件事故がなく一家を立てて従前どおり右営業部の仕事に従事すれば少くとも月額三万五千円の手当をうけられることが認められるから原告孝治は本件事故により月額にして右三万五千円から二万円を控除した金一万五千円の得べかりし利益の減少した計算になり、これは終生継続するものと考えられるから原告孝治は本件事故当時満二八才で第九回生命表によると満二八才の男子の平均余命は三九、五四年であるから原告孝治がその期間生存して会社に勤務するとすればその間の労働能力の減少による喪失利益を現在一時に請求するものとしてホフマン式計算方法により算出すると次のとおり金百八十万円となる(但し三九、五四年は四〇年として計算した)

15,000×12×40/(1+0.05×40)= 1,800,000(円)

他に右認定を左右するに足る証拠はない。

しかして原告孝治において本件事故により労働者災害補償保険法により休業補償金八万二千三百六十三円、障害補償費金二十九万九千九百九十三円の支給をうけていることは原告らの自認するところであるから右金百八十万円から右補償費合計金三十八万二千三百五十六円を控除すると金百四十一万七千六百四十四円となりこれが原告孝治の本件事故による得べかりし利益の喪失した損害となるものとする。

(二) 義足並に断端袋代について

原告孝治(39、11、24)の尋問の結果によると原告孝治は本件接触事故により義足を装着していることが認められ今後終生義足並にその装着に伴う断端袋を必要としその費用がかかることが明らかなところその費用につき判断するに成立に争いのない乙第一七号証によると本件のごとき大腿部切断による義足の基準価格(吸着式)は一万八千円でその耐用年数は四年であることが認められ原告孝治は本件接触事故当時二八才で第九回生命表によると満二八才の男子の平均余命は三九、五四年であるから原告孝治がその期間生存するものとすればその間義足一〇足を要することとなるからその費用を現在一時に請求するものとしてホフマン式計算方法により算出すると次のとおり金十万五千百三十九円となる(但し三九、五四年は四〇年として算出した)。

18,000+18,000/(1+0.05×4)+18,000/(1+0.05×8)+18,000/(1+0.05×12)+18,000/(1+0.05×16)+18,000/(1+0.05×20)+18,000/(1+0.05×24)+18,000/(1+0.05×28)+18,000/(1+0.05×32)+18,000/(1+0.05×36)

又原告孝治(39、11、24)の尋問の結果によると原告孝治は義足着用のため断端袋を年六枚は必要でありその一枚の価格金百円であることが認められるからこれにつき右同様ホフマン式により計算すると次のとおり金八千円となる。

100×6×40/(1+0.05×40)= 8,000(円)

甲第九号証並に原告孝治(39、11、24)の尋問の結果中には義足は一足五万円でその耐用年数は二年であるごとき部分があるけれどもこれだけではにわかにその価格並に耐用年数を認めがたく他に前示認定を左右するに足る証拠はない。

右により原告孝治の将来必要とする義足及断端袋の必要費用は一時に請求するものとして右十万五千百三十九円と八千円の合計十一万三千百一三九円となるものとする。

(ホ)  原告孝治の慰藉料について

原告孝治の尋問の結果によると原告孝治は本件事故により右足を切断し義足に頼る結果となりその精神的苦痛は多大であつたことが認められるからこれを慰藉すべきであり本件に現われた原告の地位境遇その他の事情を参酌してその精神的苦痛に対する慰藉料として金五十万円を相当と認定する。

右医療費六万二干七百二十円、軽自動二輪車の修理費六万五千四百三十円、得べかりし利益の喪失損害百四十一万七千六百四十四円、義足、断端袋代十一万三千百三十九円、慰藉料五十万円(以上合計二百十五万八千九百三十三円)は原告孝治が本件事故に基く損害といえるから被告国は原告孝治に対し同額の賠償義務があるというべきところ本件事故については前示のとおり原告孝治にも過失があることが認められるからその額について斟酌すべく本件に現われたすべての事情を参酌して被告国の原告孝治に賠償すべき額は金百十万円であると認定する。

よつて被告国は原告孝治に対し右金百十万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であることが本件記録により明らかな昭和三八年二月五日以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべきものとする。

原告広蔵、同サクの請求について。

原告広蔵、同サクは本件接触事故による原告孝治の受傷につき原告孝治の両親として精神的苦痛をうけたからこれが慰藉料として各三十万円を請求すると主張するけれども原告孝治(39、11、24)の尋問の結果によると本件事故による原告孝治の傷害は右足の切断とまでなつたがその後義足を着用して不自由ながら従前の業務につけるまでに回復したことが認められるから、かかる程度の傷害の場合においては民法第七一一条の規定に照して近親者である原告広蔵、同サクには慰藉料の請求権はないものと解するから右原告広蔵、同サクの請求は理由がないものとする。

以上により本訴は被告は原告孝治に対し金百十万円およびこれに対する昭和三八年二月五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度においてこれを認容しその余の請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、仮執行の言旨および仮執行免脱の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 平岡省平)

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